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【2026/04/05 17:45 】 |
東日本大震災 進学目前で被災「悲しんでいる時じゃない」

 「4月から大学に行く予定だった。でも無理なら仕事を探さないと……」

 宮城県名取市閖上(ゆりあげ)の自宅周辺が水没し、市文化会館で避難生活を送る沼田裕也さん(18)は、地震の数日後に祖母(83)と兄(22)の遺体を確認した。両親の安否は不明だ。だが覚悟はしている。「せめて早く見つけてあげたい」と思う。

 「みんな自分以外のことを優先する」。そんな家族だった。地震が来た時、父は自転車で近所に避難を呼びかけ、母は斜め向かいの家の様子を見に行き、兄は軍手とロープを手に近所の人を助けに行った。沼田さんは祖母の体を支えて揺れが収まるのを待った。

 公民館に避難したが、すぐに水が来た。無我夢中でタイヤや建材にしがみついた。車の屋根に乗っていた人が「大丈夫ですか」と声をかけてくれた。次の瞬間、その人はいなくなっていた。自分が自宅そばの閖上小学校の近くにいると気づいたのは翌日のことだ。

 気を張っていようと、避難所では進んで救援物資の運搬やごみの分別を手伝う。それでも、ふと家族のことが頭に浮かぶ。

 大学の合格が決まった時、赤飯を炊いてくれた母。「ここに座れ」と言っては、将来についての考えを聞いてきた父。高校の卒業式で両親に手紙を渡すことになり、普段あまり話さなかった父あてに「大学でも頑張るので、体に気をつけて仕事を頑張って下さい」と書いた。だが、式の当日、自宅に手紙を忘れた。「改めて大学の入学式で渡そうと思っていた。その手紙も津波で流されてしまった。結局、父に言えずじまいで……」

 18日。自宅のあった場所に行ってみた。玄関や風呂のタイルしか残っていなかった。沼田さんは自分に言い聞かせる。「悲しむのはいつでもできる。今はその時じゃない」。一刻も早く両親を捜したい。

こんなに苦難と逆境の中で、なんて強く頑張ってるのか。普段から沼田さん始めご家族は人を思いやってこられたのだと思う。今も人の為にに進んで何かをやろうとゆう姿勢に見習わなければならないと思う。ご両親は一日も早く見つかる事を願っています。

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【2011/03/27 17:30 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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